
どうも、宿をつくってるAOです。
宿を開こうと決めてから、自分の中でひそかに安心材料にしていたことがあります。「接客なら、まあ、できるほうやろ」と。社会人歴もそれなりに長いし、人と話す仕事も通ってきた。だからお客様とのやりとりくらいは、これまでの経験でなんとかなるだろうと思っていました。
結論から言うと、その”なんとかなる”だけでは、本当の自分が目指す仕事のクオリティには遠く及ばなかった。
“たぶん、なんとかなる”を持ってフロントに立った
私が持っていったのは、半分正解で半分ズレた自信でした。
人と話すこと自体は怖くない。言葉に詰まって固まる、みたいなことはない。でも、宿泊の現場でお客様に向き合うのは、それとはまた別の話でした。ここに来る人の多くは、休みに、くつろぎに、楽しみに来ています。仕事の交渉相手でもないし、こちらの都合に合わせてくれる相手でもありません。
「話せること」と「その人の滞在をよくできること」は、まったく別のスキルだったんだと、立ってみて初めて気が付きました。
自分の言葉ひとつが、滞在の質を左右していた
最初に効いたのが、言葉遣いでした。
ホスピタリティを提供する、と口で言うのは簡単なんですが、じゃあ具体的に何が”提供”なのかというと、私の場合、まず自分の口から出る一言だったんですよね。同じ案内でも、言い方ひとつで受け取り方が変わる。ちょっとした間、ちょっとした語尾。それが「ちゃんと歓迎されている」にも「事務的にさばかれている」にもなってしまう。
自分の発言が、そのままその人の滞在の質に乗っかっている。そう感じた瞬間、これは軽く見ていたなと思いました。これまで自分がしてきた”接客”は、もう少し雑でも許される場所での接客だったのかもしれません。
求められる速さは、スポーツみたいだった
もうひとつ、完全にイメージと違ったのが、速さです。
お客様が何を求めているのか。それにどのくらいのスピードで応えればいいのか。これが、頭で想像していたよりずっと激しかった。変な表現かもしれませんが、体感としてはスポーツに近い。読んで、動いて、また次が来る。考えてから動く、では間に合わない場面がありました。
そして、これはどんな仕事にもある程度共通することやと思うんですが——新人だろうが、フロントに立っている以上、「知りません」「分かりません」で終わらせるのはご法度なんですよね。お客様からすれば、こちらが何ヶ月目かなんて関係ない。目の前にいる人が“宿の人”です。
自分の経験のなさで、お客様を不安にさせてはいけない。この気持ちは、誰かに教わったというより、立っているうちに自然と自分の中から湧いてきました。これはたぶん、現場に立たなければ、ずっと”言葉としてしか”知らなかった感覚だと思います。
結局、客席から見ていただけでは測れなかった
私はこれまで、お客さんとして、いろんな宿を見てきたつもりでした。あそこの接客はよかった、この宿は居心地がよかった、と。でもそれは客席から見えていた部分だけで、”迎える側”に回った瞬間に見える景色は、まったく別ものでした。見てきたものだけでは、測れないものがたくさんあった。
つくる側・迎える側に立ちたいと思ったとき、実際に体で、五感で、その現場に立つこと。これが思っていた何倍も大事なピースだったんだなと、今は感じています。
そして、じゃあこれで全部分かったのかというと、当然そんなわけもなくて。むしろ体を通して初めて、「あ、自分はここを知らなかったんや」という穴が、これから先もたくさん出てくるんだろうなと思っています。ちょっと怖い。でも、その穴を一つずつ体で埋めていく時間が、たぶんそのまま、自分の宿の輪郭になっていく気がしています。
想像の中の”いい宿”は、いくらでも綺麗に描けます。でも、それを本当に測れるようになるには、こうして現場に立ち続けるしかないのかもしれません。今はまだ、その入口に立ったところです。
AOでした。
