
どうも、また考えてたAOです。
考えすぎ で検索すると大体続いて、「やめ方」と出ます。私も検索したことがある。
じゃあ、そもそもやめる必要があるのかを考えてみました。
家に帰ってから始まる、ひとり反省会
仕事や飲み会、遊びから帰ったあと、一人の時間のなかでいろんなことを後悔する時間ってありませんか?
あ〜、あんなこと言って大丈夫だったかな。
自分ばっかり話しすぎてなかったかな。
あのとき相手の表情、なんか曇ってなかったっけ。
友達とのご飯でも、仕事の打ち合わせでも、プレゼンでも。
自分が何か行動を起こしたあと、必ず家でひとり反省会が始まります。
相手のリアクションを思い返して、「なんか変なこと言ったと思われたかも」って、どんどんネガティブな方向に引っ張られていく。
ひどいときは、人と関わること自体をやめたくなるくらい極端なところまでいきます。
そのくらい、考えすぎる。
考えすぎることは、悪いことなのか
「相手にどう思われたか」をぐるぐる考え続ける時間、はっきり言ってほぼ無駄。
それで自分をすり減らして、落ち込んで、苦しんで。
その時間はもったいないな、とも感じてる。
でも、やめられないんですよね。
で、あるとき気づいたんです。やめられないなら、やめることにエネルギーを使うより、付き合い方を変える方がいいんじゃないかって。
「考えすぎをやめよう」と頑張るより、考えすぎたときにどう切り替えるかの癖を持つ方が、ずっと現実的だと思うようになりました。
「これは私の勝手な妄想だ」と、自分に叩きつける
切り替えるために今やっていることが、ひとつあります。
しゃべりすぎたかどうか、失言したかどうか、相手がつまらなそうだったかどうか。
どこまで考えても、本当のところは相手にしかわからない。
それを確かめることも、ほとんどの場合ないわけで。
だから、「これは私の勝手な妄想だ」と、自分に叩きつけるようにしています。
決めつけない、ということを癖にする感じです。
もし仮に相手が「なんか合わないな」と感じていたとしても、自分に明らかな非がある自覚がないなら、それはもう相性の問題。
縁に委ねるしかないし、委ねていい。
そう思えるようになってから、ひとり反省会の時間がだいぶ短くなりました。
考えすぎない自分じゃなくて、よかった
ここまで書いておいてなんですが、私、考えすぎる自分のことが今は好きです。
考えすぎるということは、それだけ人に共感できるということだと思っていて。
相手の気持ちを想像できるし、自分のことも深く掘り下げられるし、世の中のいろんなことをより丁寧に見られる。
考えることが少ない方がシンプルに生きられるし、悩みも減るかもしれない。
それはそうかもしれないけど、考えすぎることで得てきたものも、自分の知らないところでたくさんあると思っています。
考えすぎるからこそ、人に優しくできる。
考えすぎるからこそ、自分を大切にする方法を見つけられる。
考えすぎない自分じゃなくてよかった、と今は素直に思っています。
やめなくていい、ただ使い方を変えるだけ
「考えすぎ やめ方」と検索したことがある人、やめなくていいと思います。
考えすぎる自分を直そうとするより、考えすぎたときの出口を作る方がずっと楽になれる。
「これは私の妄想だ」と気づく癖を持つだけで、ひとり反省会の終わり方が変わってきます。
考えすぎることは、あなたの繊細さと優しさの証明でもあるから。
また考えてたAOでした。


