
どうも、また考えてたAOです。
突然ですが、「愛」について、わざわざ考えたことってありますか。
恋愛とか、家族とか、そういう話ではなくて、もう少し根っこの自分が何かを愛しているかどうか、自分自身を愛せているかどうか、自分の生き方に愛があるかどうか。
そんなことをふと考えさせてくれる画家にマルク・シャガールという人がいます。今日はシャガールの言葉を手がかりに、「愛する」ということを一緒に考えてみたいと思います。
シャガールという画家のこと
シャガールを知ったのは、モーリス・ユトリロ展の物販で見かけた画集。
空を飛ぶ人、色鮮やかな花、夢の中にいるような構図。一目ぼれに近い形で好きになりました。その後シャガールについて調べていくうちに、彼が「愛の画家」と呼ばれていることを知りました。
マルク・シャガールは1887年、ロシア生まれのフランスの画家です。20世紀を代表する芸術家のひとりで、生涯にわたって愛をテーマに描き続けました。妻ベラへの深い愛、故郷への愛、ユダヤの文化への愛。彼の作品のあちこちに、愛が滲んでいます。
そしてシャガールは絵だけでなく、言葉でも愛を語り続けた人でした。彼が残した言葉のいくつかが、今も私の中に引っかかっています。
シャガールの言葉①「人生に意味を与えてくれる色は、愛の色だ」

シャガールはこんな言葉を残しています。
「人生には、画家のパレットにおける一色のように、人生と芸術に意味を与えてくれる色がある。それは愛の色だ。」
シャガールの絵を見ていると自然とこの言葉が出るのもうなずけます。パレットの上にどれだけたくさんの色があっても、愛という色がなければ絵にならない、と言っているように聞こえます。
人生も同じなのかもしれません。仕事があっても、お金があっても、予定が埋まっていても、愛という色がなければどこか色褪せて見える。逆に言えば、愛があれば、どんな地味な日常でも鮮やかになる。
自分の毎日に、愛の色はあるだろうか。そんなことを問われているような気がしました。
シャガールの言葉②「愛だけが私の興味を引く」

もうひとつ、こんな言葉があります。
「愛だけが私の興味を引くものだから、愛を取り巻くものとしか私はかかわりを持たない。」
自分が関わるものをすべて「愛があるかどうか」で選んでいる、ということですよね。仕事も、人も、場所も。愛を軸にして、人生を選んでいる。
翻って自分はどうだろう、と考えます。なんとなく流されて関わっていること、なんとなく惰性で続けていること。そこに愛はあるか。損得で動いていないか。義務感だけで続けていないか。
「そこに愛はあるんか」という問いを、自分に向けてみると、意外とドキッとする場面があります。
シャガールの言葉③「愛に基づいていれば、何でも可能だ」

そしてもうひとつ。
「芸術においても人生においても、愛に基づいていれば何でも可能だ。」
この言葉を読んだとき、愛って「感情」じゃなくて「土台」なんだと思いました。
ふわふわしたロマンチックなものじゃなくて、何かを成り立たせている根っこの部分。愛があるから続けられる。愛があるから踏ん張れる。愛があるから、白黒つけられなくても前に進める。
愛があるからこそ、簡単に割り切れないことが増えていく。それはときに厄介で、しんどいことでもあります。でもその厄介さこそが、自分を生かしている土台なのかもしれない。
そう考えると、愛は弱さじゃなくて強さだと思えてきます。
愛って、わざわざ考えたことありますか
愛、という言葉は日常的に使いすぎて、逆にその意味を考えなくなっている気がします。
「愛してる」「愛のある仕事」「愛着がある」。言葉として使っていても、自分の中の愛が何なのかを問い直す機会は、あまりない。
シャガールの言葉はそれを、静かに問いかけてきます。あなたの人生に、愛の色はあるか。あなたが関わっているものに、愛はあるか。あなたが続けていることは、愛に基づいているか。
答えはすぐに出なくていいと思います。でも問いを持っておくことは、大事だと思っています。
空を自由に飛びながら、それでも地に足のついた愛を描き続けたシャガール。彼の絵を見るたびに、愛することの豊かさを思い出します。
また考えてたAOでした。
