
どうも、また考えてたAOです。
最近、「頑張らなくていい」という言葉をよく見かけます。
SNSでも、本でも、誰かの口からも。
それだけ、頑張りすぎて消耗している人が多いということだと思います。
頑張りすぎて、日常生活がままならなくなってしまう。
そこまで自分を追い込まなくていい。
その意味では、「頑張らなくていい」はとても大切な言葉だと思っています。
ただ、少しだけ。一石も投じたい。
生きてるだけで偉い。それは本当にそう思う。

毎日仕事に行くだけで、偉いと思います。
朝ごはんをちゃんと食べるだけで、偉い。
人に気を遣えるだけで、偉い。
些細に見えることを、一つひとつ積み重ねていける。
それって、本当にすごいことだと思うんですよね。
「頑張らなくていい」という言葉が広まった背景には、
そういう当たり前の積み重ねを、もっとちゃんと認めようという気持ちがあると思います。
その部分は、全く否定するつもりがありません。
でも「頑張らなくていい」を、免罪符にしてない?

違和感を感じるのは、その言葉を「怠けていい理由」として使っている人たちを見るときです。
頑張りすぎなくていい、と
努力しなくていい、は
全然別の話だと思っています。
本来の意味は、「壊れるまで自分を追い込むな」ということのはず。
それがいつの間にか、「しんどいことは全部しなくていい」にすり替わっている気がして。
怠慢と、セルフケアは違います。
そこだけは、はっきり言いたいなと思っています。
20代の私は、頑張り方すらわからなかった。
偉そうに言っておいてなんですが、私自身も20代はそんなに胸を張れる生き方をしていたわけではありません。
奮起しては行動に起こせない日が続いていたし、
自分の芯みたいなものも、全然見えていませんでした。
それでも、会社のため、社会のためには頑張ってきたと思います。
わりと働き者だったとは思う。
ただそれが、自分のためだったかというと、正直よくわからなかった。
「何のために頑張るか」が見えていない頑張りって、
どこかむなしくなる瞬間があるんですよね。
芯が見えてから頑張ると、本当にやるだけになる

30代になって、少しずつ変わってきました。
自分のやりたいこと、生きていきたい方向性が、ぼんやりとだけど見えてきた。
そこから頑張るのは、20代のころとは全然違う感覚があります。
誰かを蹴落とすとか、そういうことじゃなくて。
「頑張らない」を選んだ人たちと、じわじわと差がついていく実感、とでも言えばいいのか。
自分の人生の満足度が、確実に上がっていっている気がするんですよね。
それが今のところ、頑張ってきてよかったと思える一番の理由です。
「頑張る」を選ぶのは、時代遅れじゃない。
令和は、頑張らない時代なのかもしれません。
少なくとも、そういう空気は確かにあります。
でも私は、頑張ることを選んでいます。
時代遅れだとしても、それでいいと思っています。
芯が見えた今、頑張れば頑張るほど、自分の人生が自分のものになっていく感覚があるから。
「頑張らなくていい」の本当の意味は、
自分を壊すほど無理をしない、ということだと思います。
でも、できる範囲で、自分の芯に向かって進み続けることは、全然違う話です。
頑張ることを、もう少し肯定してもいいんじゃないかな。
令和でも、静かに頑張っている人たちに、そう言いたいです。
また考えてたAOでした。

